お・も・い・こ・み
takigawa

古典的マーケティングの分野では、積極的に思い込みを植えつけるのがメインテーマだと思ってます。
これに成功すると、マーケットの思い込みによって、70点の商品が80点、90点で評価されることが可能です。(少なくとも束の間は)
この様に書いてしまうとまるで「人を騙している」と同じなんじゃないの?といった疑問が沸きますが、騙している事が悪いこととした場合、これには法によって一定のガイドラインが定められています。
主に「不当景品類及び不当表示防止法」 で定義されていて、消費者庁や各業種の管轄省庁の勧告や指導によって行き過ぎた内容のものは改められていく事になっています。
例えば2013年に日本では数多くの飲食店で偽装表示されていた事が話題になりました。
有名ホテルのレストランにてブラックタイガーを芝エビと言ってお客様に料理を提供しておりましたが、この様なレベルだと流石に社会通念上許されるものではありません。

しかし面白い事にお客様は長い長い間、芝エビと思って美味しく食べていました。
ブラックタイガーでも芝エビと思って食べれば脳内補正、つまり思い込みによるノイズによって、実際にブラックタイガーが我々に与える物質的特性を脳が勝手に変更してしまい、五感で感じる以上の満足感を得て食する事が出来る訳です。

似たような話をもうひとつ。
クジラの肉は現在、世界的な反捕鯨運動によって収穫が殆ど無い状態で、今日現在非常に高価で貴重な食材になりつつあります。
これに対して人は高価な対価を支払って食するのですが、一昔前ですと給食のおかずにも出てきた位で、牛肉が高いので代わりのタンパク源としてクジラの肉を食べていました。
同じ肉ではありますが、食する人の感じ方は大きく違っていることが容易に想像できます。

人間のセンサーである五感が感じるものは、全て電気信号として脳に届けられるのですが、それに対して人が知覚したり感想を覚えるまでの間に様々な変化を起こして、最終的に人が感じるものは意外と多様性を持ちます。
高級食材と思い込んで食べれば、その食材は高級食材になる様です。

この「思い込みのノイズ」を作り出すことをマーケティング用語では「ブランディング」と呼んでいると思っています。
例えばバッグの様なものは、用途としてはすっかりコモディティ化しており、大きな差別化要素なんてものはとっくにありません。
そこで小さい差別化要素を出してはそれを大衆に大げさに告知し、「○○だったら××だ」という思い込みノイズを作り上げていくのです。
これは一朝一夕には出来ません。
自分の体験では1000万人規模の人たちが持つ商品に対する印象は相当の資本を投入して大体3年位で変化するかな、というのが感想です。
ネット社会によってそのスピードはどんどん速くなっているのですが、結構時間がかかって大変です。
勿論、プロダクト自体が悪ければ、現代のネット社会では悪い評判がすぐに立ちますから、あくまで非常に完成度が高くなってコモデティ化したジャンル、若しくは非常にシンプルな構成の製品(竹竿とかね)という話ですけれども。

さて、無事この思い込みノイズを市場に浸透させたならば、後はこれによって多少の商品の欠点は見えなくなり、良い点が強調されて消費者の脳に伝わります。
本来であれば実現不可能なレベルの品質にまで、消費者の脳内で勝手に変換されていきます。
主に60〜80年代のアメリカのビジネスマンはこんな事ばっかり考えていました。
そもそもコカコーラとペプシコーラの差別化なんて無茶苦茶タフな事をやってきた人達です。
その技術は学問へと昇華され、研究されつくしていて非常に洗練されています。
90年代以降、経済が凋落しアメリカの好調を横目で見てきた日本人は、大いにアメリカの真似を始めました。
この頃は、さほど注目されてなかったマーケティングを広告業者だけに任せずに、企業内の企画段階で積極的に取り込んで行った時代だと思います。

で、結局これって人を騙しているんじゃないのか、という命題について、法律的なガイドラインはさておき、個人的な感想を少し。

結論から言えば、良くも悪くも人を騙している要素は大きいと思います。

悪く言えば、ですが、企業は大抵の場合ステルスマーケティング、もしくはそれに類似の事をやっています。
よくあるのは、専門誌や専門サイトでさも公平に評価してますよ、と評論家のコメント、または公平に調査してますよ、という調査会社等が出す調査結果ですけれども、この辺は既にノイズが仕込まれている可能性が非常に高いです。
事実、企業や広告代理店は常に誰にどの様な記事を書いて貰うかを調整しています。
調査や評論自体は公平だけれども、その調査自体が自社有利に見える様なものを選んで記事を書いて貰っています。
これを見た消費者は商品を購入する前からノイズまみれにされています。
食品だったら爽やかな役者がCMで美味しそうに食べる様子をこれでもかと見せ付けられますし、テレビ等の家電だと、メッチャくっきりしてます、とか見せ付けられます。
食品等の定性的な評価が主軸となるものは、これらの仕掛けが非常に重要になってきます。
「Rich」「芳醇」「淀みなく」等の定性的な言葉が並んだ場合は要注意です。
そう思い込んだ時点でその味はその様に補正されて脳内に届きます。
それが良い悪い、の判断も多くの人は人の判断を基準に決めてしまいます。
多くの人とは「マスマーケティング」上のマーケットリーダー達です。

しかしです。

良く言えば、プロダクトの良し悪しは、対価を支払って手に入れた消費者がどの様に感じるかということで決定されますので、例え「思い込みノイズ」で7割程補正されていたとしても、それが心地良いとか、満足感を感じるのであれば、自分は良いのではないかと思います。
宗教なんてこれが高純度で詰まったもので、拝んだら気持ちが楽になったとか、そういうものは宗教側のブランディング勝ちという事です。
最終的には前述の脳波の話になってしまいますが、自分が良いと思っている、いや思い込めているのであれば、脳内が満足物質で満たされる訳ですから、実際の物理的な特性やら、真実やらは結構どうでも良いのかも知れません。
そこも含めて製品だ、というのが結局大局的な答えとなるのかなと思います。

事実に嘘が無ければ、別段良いのかなと思います。
企業側だって、自分が生み出した子供の様な製品を、少しでも良く見せようと思う気持ちに嘘は無いでしょうから。
消費者側が思い込みノイズを上手くコントロールする事ができれば、多くのプロダクトがコモデティ化した今の世の中でも提供側が装飾した世界を、むしろ存分に楽しめる様になれるんじゃないかなと思います。

あんまりこんなことばかり考えたり、この手の論文(課題・仮説・検証・定量化)を読んでいると、CMや評論家と呼ばれる人達のコメントを見ても、伝えたいメッセージは何か、どういった都合が入っているのか、ターゲットはどこか、等が気になって定性的な本文が全然頭に入ってこなくなりました。
人の話を聞いていても、定性的な常套句が出てきた時点で、背後に存在する「それでお金儲けをしている人」が誰かを考えてしまいます。

ただしかし、芝エビと思って食えばブラックタイガーも芝エビである、と壮大な社会実験の結果は尊重しようと思います。
つまり自分の脳内ノイズをコントロールできれば、今よりもずっと幸せになれるって事です。