デザインという言葉が箱だという事をさらりと書いたら、なぜか組織の中でうまくやっていってね、という少々意図しない話に飛んだので、追記しておこうかなと思ってます。

なお、前述のエントリーで記載した

「それはプロダクトアウトの考えだから間違っている!これからはマーケットイン!」とかを事の本質も分からないままアホみたいに唱えていたのを良く覚えています。

の件は、関係者の某小林氏とC氏(余りにもレアな名前なのでCと書きますが)を意図して書いてますんで、ご了承下さい。洋物に直ぐ持ち込もうとする人達って何時の時代もいるんですが、大抵大事な何かを忘れていて、ついこの間(半年前位)も「アジャイルが〜」と今更ながら言う奴がいたので、色々と10年前からあるその仕組みがなぜ日本で広まらないのか考察したんですか?と問うた事があります。


さて、恐らく事の発端としては、
R25

のデザインなんとかならんのか、という話だったと思うのですが、、、

背景を申し上げますと、つい最近(っても3年位前ですが)自分の世界観をガンとして曲げないグローバル企業のプロダクトを2つ程、扱う事がありまして、それまで日本で必須だという機能を全く無視しちゃうその製品は当初「全く日本に受け入れられないだろう」という大方の見方を打ち破り、併せてシェアの9割を取ってしまったという事がありました。
この時思ったのは、なんだまたゲームチェンジ「してた」のか、という感想です。
一方、その余波を食らって、日本で同じ分野の製品を作っていた企業はあらかた無くなってしまいました。

それを横目でみつつ、プロダクト側からサービス側に仕事を移してきたのですが、こちらは更に前(5年位前)にG社さん等によりだいぶんやられていた、つまりゲームチェンジから数年経っていたのですが、既に新たな生態系が作られつつあり、その新たな版図の中で日本企業は随分と頑張ってました。まだまだ世界に漕ぎ出すには難しいものがあるのですが、何かが生まれる息吹は感じています。

そんな中で、R25のメーターデザインを見ると、少し危機感を覚える訳です。外野なんですが、危惧位はさせてください。そうでなくても多くのイケイケだった組織が一発の製品でパッタパタと倒れていく様をここ数年で沢山見てきたのですから。
いや勿論、これがグローバルスタンダードで次世代の日本も飲み込まれてしまうものであれば、自分は誤っていた事になるのですが、実はそうはならないと思ってます。その根拠まで書くには相当時間が掛かりそうなのでやめときますが、「日本の工業製品の強みを生かしてまだまだやれる事が多い」と思ってます。
少なくとも、最初に前述のグローバルプロダクトを触った時には、腰が抜ける位の衝撃がありましたので、メーターというUIとしてはそんくらいの進化がそろそろあっても良いのかなとは思います。

もう何十年も前、自分は大学卒業時に某二輪四輪メーカーに「このアルトのメーターパネルはもっと良くなります(実話)」と言って内定を貰っときながら、オカンの「寄らば大樹やろアホ」の一言で某公社に入社を決めてしまったという、今思えば後悔してしまう、、、いや万事塞翁が馬なんで、後悔はしてませんけど、経験があるのですが、その当時の自分でさえ、「まだまだイケる」と言ったと想像します。


そこから発展しての「んじゃぁ組織でやってろよ」という言葉ですが、、、何かつながりが薄いので、自分が知らない世界がまだまだ沢山あるのでしょう。

しかしながら、何も日本語的な意味で「芸術家」の人達だけがデザインという言葉を独占しても良いとは、少なくとも個人的には思っておらず、また目に見えるモノ作りだけがデザインという言葉を使ってよい、とも思ってません。

モノを作る、取り分け人を感動させるモノ作りというのは、全ての人に与えられた権利でありまして、それをどの様に表現するかは、世の中で人と人とが共存しながら生きていくという前提の中で、人それぞれに与えられるものだと思ってます。
(えーっと異論は認めます。恐らく答えないんで。)

この人と人とが共存しながら生きていく前提というのがポイント、境目でして、それを無視して自分のやりたい事、目指したい事を追うのであれば、論点は「人とは?」になっちゃいますんで避けます。

共存しながら生きていく、個人、法人、色々な形態がありますが、それらを含む範囲の話です。

人に感動を与える「目に見えるもの」以外にも、例えば某ナビゲーションシステムを作っている人が書いたプログラムはとても美しいパターンを持っていましたし、某グループウェアを作っている集団が初期の頃作ったHTMLとCGIエンジンは機能的でとても綺麗だったと思います。(その結果売れに売れて2〜3社潰れてしまいました)

単品の関数やプログラムだけでなく、それらを纏めて、数百万行のコードをビルドする複数の企業を仕事柄長らく見ていたのですが、やり方もそれぞれで、「なんとかならないの」と思う事もあれば「おぉ凄い」と思う事もありました。
おぉ凄い、と思う時はやっぱり何か「なかなか感動を与える仕組み(システム)」を採用していたりします。

美しいソースコードを書く人もいれば、美しいシステムを構築する人もいます。 
綺麗なソース、綺麗な仕組み、どちらも開発の現場で日常的に使われているもので、それらを作り上げる個人や組織は、やはり存在しますし、そこには何らかの創造が備わっていると感じています。
自分はこれら全て「デザインする」という言葉で語っています。ここでその言葉が使えないならば、自分は少々不便に感じる事でしょう。

仕事柄デザイナーという分類の人達とちょくちょく仕事をします。
その人達がいわゆる「目に見える美しいもの」を達成する為に、一緒に働くソフトウェアやハードウェアを作り出す人達があーだこーだと葛藤する姿を目の当たりにします。
一般的には余り人目に触れませんが、その中にでも美しいコードや、美しい仕組みは沢山あります。
最終的にグッドデザイン賞等で表彰されるのは、それらの「目に見える部分」を作ったデザイナーの方々だとしても、個人的には、それらを支えるもの作りをしている人達も同等の仕事をしている場合が多々あると考えています。そこは世に伝える役割の人から物流、売り手まで、等しく同等です。

「デザイナー」という言葉は別に彼らにとって必要なものでは無いかも知れませんが、第三者的な立場から「彼らが何もデザインしていない」と言うのであれば、それは違うんじゃないかなと思います。
年末に沢山出てくる「あーてぃすと」と呼ばれるアイドルグループと同じレベルで語られるのは悲しい事です。
Wikipediaに良い記事があります。
「デザインとは,現状を少しでも望ましいものに変えようとするための一連の行為である。」
まさにこれだと思います。 

・・・という話を書いてて、前職のCTOが「日本のエンジニアって地位が低く過ぎると思いませんか?」と言っていたのを思い出しました。今なら「エンジニアだけじゃないですよ」と答えると思います。

目に見えるものだけが賞賛されて、裏を支える物事を蔑ろにしてないか、とは思います。


最後に、「売れるものが良いデザイン」という点について。
お金を稼ぐ事と社会貢献する事とは狭義には相反しますが、広義には共有されるもので、それらの答えは60年代〜70年代に大方解決されてきたものだと思います。松下の七精神だったり、稲盛のフィロソフィだったりです。
創造を繰り返していく為には、「売れる」というビジネスモデルも必要です。

今仮に「おれは1/1スケールのガンダムを作って人に感動を与えたい!」と自分が言ったところで、回りの人はなんじゃそりゃ、、、となります。だって一銭にもなりませんので。

が、現実はこうです。
odaiba_gundam44_m
 立ってます。 
誰かが立たせたんでしょうけど、見る分には無料で、多くのガンオタ人々に感動を与えたものです。

ガンダムのデザインは大河原邦夫のデザインですが、このお台場に立つガンダムが与える感動は決して大河原邦夫だけが成したものではありません。

現実社会の自分ですが、「そんなん絶対無理やし利益も出ないで、、、」といわれ、同業他社がパタパタと死んでいったサービスがありまして、ひょんな事からそれを手がける事になりました。
まぁ1年頑張ったおかげでエンドユーザーの94%の人が続けて欲しいと言ってくれる良いものに仕上がり、利益確保の目処も付いたところなのですが、改めて感じたのは、利益確保というのは、モノを提供する上で必要な要素の一部としてみるべきものであって、事の本質はどう生活を豊かに出来るのか?どう感動を与えるのか?という思考がベースに無ければなかなか上手く行かないという事です。

お金を払ってでも欲しい、と思っていただけるものを作る。
ついでにお金を払いやすい様に仕組みを作る。
お金が払って貰えないなら、別のところから頂く。ガンダムの様に。

全部が全部、思った通りにはならないですが、その循環の中で自分が表現したい事を実現していく事もまたひとつの大事な手法なんだろうなと思います。

最後に。
組織、個人の区別は、世の中を豊かにしていくという行動の前では、人が今の社会の中で回りとどの様な形でつながって行くかという形態でしか無く、その前提においては、殆ど意味を持たない論点で、どちらがよりその人にとって便利なのか、という選択でしか無いと思います。
自分の2社目の会社は田舎の本当に創業したてで、全員個人事業主の様な形で運営されてました。
そこでしか出来ない事もありますが、あれよあれよと東証一部上場になってしまいました。
やる事が変わらなくても、周囲の期待が変化すれば形態も大きく変わる事を学びました。
今は社会インフラを支える企業に居ますが、ここでしか出来ない事もあります。 
一人でしか出来ない事もあれば、組織でしか出来ない事、企業間のアライアンスの中でしかできないこと、色々あると思いませんか。これらは単なる手段です。
事の本質は変わらず、全て世の中を豊かにする為に自分なりに色々と今出来る事をするだけです。

美しい物をデザインして人を感動させるのも、それを実現する人も、それを電気信号に変換して人に届ける仕組みを作るのも、その仕事に貴賎は無いと思っています。

※何度も繰り返し書いてますけど、私無宗教、有神論者(主にギャンブル的に)で、拝めるものは何でも拝んどけ、なんかあるやろ、という両親の大らかな(≒俗にまみれた)教えに従って生きています。