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ついこの間、サイトを閉じてしまわれました「魂の乗り物」さん。
http://www.smkymnky.com:80/VoS/

これに続いて、DC-CDIの情報を沢山上げていた「TORYのCDI」さんのサイトも閉じられている事を発見しました。
http://www2.aimnet.ne.jp:80/sakurai-lpb/cdiseisaku2.html

smkymnky.comはレンタルサーバ業者で、こちらはサービス自体終了したのかもしれません。
aimnet.ne.jpはインターネットプロバイダで、最近あちらこちらで進んでいるADSLの巻取りの影響で所有者の契約自体が無くなってしまったのかも知れません。

どちらにせよ残念な事です。
Internet Webarchiveには残っているので、見る分には困らないのですけれども、いつか復活してくれると嬉しいですね。

以下ヨタ話

普及の為の知財戦略

TORYさんの場合、今見直すとCDIの良さを普及させるために色々と頑張っていた様でした。
一方、特許を申請したりコピーライトをしっかり明記していたりと、権利確保にも力を入れていた様な気がします。

ここに限らず自作点火装置関連のサイトはいくつかありますが、著作権とか権利系をしっかり確保しようと試みているところが多い様な気がします。(殆ど失敗している認識ですが)
しかし自分は、少なくとも相当の劇的な変革が無い限りは点火装置なんてものは既に公知の物か、特許が切れたものの集合体だと思っていて、そのような知財戦略は成立しないかも知れないと思っています。
(真面目に歴史の長い内燃機械で特許性を認めて頂く事は非常に難しいと思います)

著作権も回路構成等で主張することは可能としても、等価回路の回避策は無限にあるので、そもそも主張する事自体ナンセンスだと個人的には思っています。
恐らくPCBパターンは著作権が自然発生しているとは思いますが、それにしても崩そうとするのはとても簡単です。

この辺はこちら(2015年10月06日 回路図の著作権を主張する?)で詳しく書いてます。

従って、権利を主張する事によって既存の企業の独占を防ぎ、自由を確保するというやりかたはうまくいかないと思うんですよね。

知財戦略としては大きく分けて「公的機関による権利取得」「公知化」「秘蔵化」があると思います。
目的が「普及の為」であるならば、秘蔵化が出来ないので、結局、取るべき戦略は「公知化による権利の放棄」が妥当だと思います。

ちなみ自分は別段普及させようとは思っていないので、このような知財戦略とは無縁です。
公知も糞もありません。
権利を主張することによるネガな部分を避けたい為にオープンソース化をしているだけです。
自分がやっている事は、全て知られた事や、特許がとっくに切れた枯れた技術の集合体です。
(組み合わせ特許はとれない?という疑問もあるかも知れませんが、まぁ無理でしょうね)

サイトを閉じる?閉じない?

先日、面倒があるなら公開やめますよ、という話をしたところ(2017年08月08日 お願い:命にかかわるリスクを考えよう)、サイトを閉じるという誤ったご認識を持たれた様です。
閉じません。(そもそもサイト持ってませんし・・・)

自分はライブドアのブログでライフログを残しているだけです。
これはライフログであって、CDI設計図の頒布サイトではありません。
勘違いされている方もおられるので明確にしておきますが、このブログは将来の自分の為に書いています。
近しい考え方はこちら(2017年03月11日 昨日ブログを始めた人へ)に書いてあります。
自分の人生にとってCDIなんてものは別にさほどの重要性が無く、むしろ大事なのはそれを通して如何に楽しむか、遊ぶか、だけなので、CDIの頒布が面倒ならやめるだけです。
頒布を停止すると言っても、ただ単にアーカイブを残しているリンクタグを消すだけ位です。
その時の理由は「適切な状況ではなくなったから」になるでしょう。
そしてそれも自分のライフログなので、その時の気持ちも含めて残します。

何かを主張する為にブログなんてやっていると、きっと続かないと思います。

現時点では、従って自分の人生が終焉を迎えるという変化点が無い限り続くのだろうと思います。
後はライフログを残すのが面倒臭くなったときとか、Facebookに飲み込まれた時とかですかね。
そしてこのブログは今はライブドアに籍をを置いてますから、全部無料です。たぶん死んでもライブドアが無くならない限りは残っていくでしょう。


別段権利を主張して金を稼ぎたいとか、世の中に普及させる大義を持つとか、そういう感情は全くありません。
権利が、とか、中古市場が、とか、そういうところで一生懸命にはなれません。
むしろそういう感情は趣味を楽しむ為には遠ざけるべきものだと考えています。
人生を楽しむ為に何が必要なのか。
余暇を楽しむという目的があって、その為に様々なその手段があります。
それらを重層的に考えて行動する必要があると思います。

しかし最近は、どうすればカリカリしたり、人を非難したりとネガな感情を放棄できるか、その辺の扱い方の方が大事なような気がします。
例えばどうにもならない権利を行使して、他人をどうこうしようとして、上手く行かなくてカリカリするなんてのは、それは仕事でやれば良くって、趣味はもっと純粋に自分に向き合う方が生産的だと思っています。

とは言っても多様性ってのがあるよね

先日Facebookのグループを作成した時に、「苦労しますね」とか「頑張ってください」とかコメントが付いたのですが、苦労するつもりも頑張るつもりも無いのに、他の視点から見ると、苦労するとか頑張るとかに見えるんだなという、改めて第三者の視点の多様性に気づかされました。
そういえば島田選手に、Facebookのページはいつ作るの?と聞いたら「時間が無くて」と言ってました。
Facebookのページなんて5分も掛からないだろうと思っていたのですが、それが大変、もしくは大変だと先入観を持っている人達もいるんだなと。


で結局、そのようなステレオタイプな価値観や自由度の少ない多様性に付き合うのは大変なので、その辺は距離を置いておくのが趣味を楽しむ為のコツなんじゃないかなって最近は思います。
仕事だとそんなんばっかりですし。

可能な限りの受容性を持ちたいとは思いますが、しかし自分を含めて多くの人は神様でも無いので超越した視点は持てません。
自分も他人からみればそういう部分はあると思っています。
つまりお互い様、人間同士スルーする部分はスルーしていかないと、趣味の世界では長く幸せになんかなれないのかも知れませんね。

人が人を思う様にコントロールしたいなんてことはそもそも思わないのが得策です。
適当に合気で受け流す位のスキルは遊びを楽しむ為には必要なんだと改めて思いました。
参考:2017年07月16日 自己決定理論:金銭的な報酬はモチベーションが下がる

で結局

これまでと変わらず誰の指図も受けず、多分のらりくらりとマイペースにブログは続いていきます。
何故ならこれはウェブログだから。
インターネット上のちっぽけな日記帳で、生きている内に発見した事を書いていく場所。
「作ったもの」を公開したりするのは、そもそもブログの趣旨ではありません。
「こんなん作ったよ」と未来の自分に対して書いてくところなんです。


与太話終わり。